\140字以上のひとりごと/

私の人生自叙伝にしたい

人生で1番苦しかった時のお話

 

今では割と笑い話にさえなっている、

「私、会社クビになったの」って話。

 

そのおかげで夢の地球一周を果たせたし、

今となってはあんな会社辞めて正解だなぁ、と思うけど

そこにたどり着くまでの日々は未だに思い出しても苦しい。

 

パワハラで精神ボロボロになった挙句「使えない」と言われ現場に飛ばされ、現場仕事になったから貰ってる額と見合わない、と言われ給料が下がり、納得がいかず労基署に相談した結果、会社に通告が行って「社長から「今の額で働くか、嫌なら辞めろ」って言われたけど、どうする?」って課長に言われてから生き地獄の1週間が始まった。

 

✱✱✱

 

1番つらかったのが、大好きな課長と何回も喧嘩したこと。

給料が下がってからの辞める辞めない騒動になるまでの半年間は、会社のためではなく、「ここまで来たらもう落ちることはない。あとは上がっていくだけ。」と教えてくれた課長のために働いてた。

 

いつしか「この人を越えたい、いつか上に立ちたい」という思いが出てきて、それを達成したいという気持ちと、「会社への不信感」が渦巻いていた私は今後どうしたらいいのかすごく悩んでいた。

課長も、「私がこの会社にいても未来はない」という思いと、「私に残って、頑張って欲しい」という思いがあったみたいで、たぶん相当頭を抱えたと思う。ごめんね、ほんとに問題ばかりおこして。

 

私も課長も、口下手だし思ったことをそのまま伝えてしまうので、どうしてもお互いを傷つける結果になるような感じになってしまった。私にとってはこれが死ぬほど辛かった。課長からきつく言われてしまうのは慣れてしまっていたし、そうなってしまうのも分かるけど、自分の思ってることが上手く伝えられなくてとにかく自己嫌悪。しかも1回拗らせてしまうと元に戻るのにそこそこ時間を必要とするのでとにかく毎日しんどかった。

 

✱✱✱

 

終結論を出す面談に行く前、2人で1時間くらい話し合った。その時に、私を染色課に呼んでくれた時のことを話してくれた。

 

「お前が現場行きになることが決まったときに、2工場では合わないことは分かっていたから、そこで辞めさせるくらいならうちにくれって向こうの課長にお願いしてた。こんなに早く来るとは思ってなかったけど」

「確かに、「あんな子呼んでどうするの」って言ってくる人もいた。でも、俺はお前のことは面白いと思って呼んだ」

 

この話を聞いて泣きそうになった。

誰も私のことを必要としてないんだろうな、と思っていた会社の中で、私を必要としてくれている人がいるってこと。

課長が私や他の人の思っている以上に、私のことを可愛がってくれていたこと。

 

だからこそ、こんな形で辞めてしまうのは嫌だった。恩を仇で返した感じになってしまうのが嫌だった。会社のことはほんとにどうでもよかったけど、課長に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

✱✱✱

 

「私、この会社辞める」

1番最初にこう告げたのは課長だった。

 

会社は私のことを必要としていないことはよく分かっていたし、私が書けって言うから書きました、みたいな契約書の中の私への評価は、現場の人が誰が見ても呆れ返るような評価だった。そんな会社だってことは分かっていたけど、それでも最後まで悩んだ。どうしても私が2年半積み上げてきた、(少ないけど)いろんな人と過ごしてきた時間を手放すのが怖かった。

 

私の気持ちを聞いた課長から

「お前がうらやましい」

と言われて、すごく悲しかった。

 

家庭や年齢といった制限がなく、背負うものも何もなく、これから自由に働く場所を得られるチャンスがあることは、若いからできること。

年齢を重ねて、家庭を持つとそんな簡単に辞めることができないこと。そんな中でみんな何かしら不満があるけど我慢しながら働いてるんだよ……という話は、辞めるかどうか悩んで、たくさんの人に相談したときに、みんなが口を揃えて言っていたことだった。

でも、「俺はこの会社のことが好き」と言ってた課長からその言葉は聞きたくなかった。思わず、私が守りたかった時間はなんだったんだろう、と考えてしまった。

 

✱✱✱

 

退職の手続きが済んでからは、自分の中で葛藤は続いていたものの、周りは驚くほど静かで、穏やかに過ぎていった。

 

そんな中で、課長と改めてお互い思ってることを話し合った。

 

「もう会社のことも、社長の考えも信用できなかった。面談の度にもう辞めようと思った。だけど、最後まで続けたいと思ったのは、課長と一緒に働きたいと思っていたから。だから最後まで悩んだ」という私。

 

「自分の立場のことを言えば、お前には残って欲しかった。だけど、吉田自身のことを考えたら、こんな会社に残っても未来はない、辞めた方がいいと思った」と話す課長。

 

今思い返すと、ほんとうにしんどい。

また戻りたい、という気持ちは全くないけど、2人とも一緒に働きたいって思ってたのに、どうして今一緒に働けてないんだろう、と思わず考えてしまった。

(いや私が会社と喧嘩したからだろ、というのはごもっともなんですけど)

 

✱✱✱

 

たくさん傷ついて、

たくさんの人を傷つけて、

たくさん悩んで、

たくさん泣いた時期。

 

このことを思い出して、やっぱり

「これからは幸せに社会人生活を送りたい」

と強く思う。

 

それは、自分のためでもあるし、

「あなたはまだ何にでもなれる」

って言ってくれた人たちのためでもある。

 

私が「幸せに生きる」のに

こだわりを持っているのはこの経験があったから。

自分の中で人生最大の課題、と思っている。

 

✱✱✱✱✱✱おまけ✱✱✱✱✱✱

 

今はもうかなりピンピンしてるけど、退職後1ヶ月ほどはメンタルがボロボロで朝起きたら泣いている、みたいなことが日常茶飯事だった。それくらい、私にとって大好きな人たちと一緒にいれなくなるのがつらかった。

 

私が当時1番危惧していたのは「課長との繋がりがなくなってしまうこと」だった。

もちろん、他にも繋がっていられなかったら嫌だ、って思う人はたくさんいた。でも、そういう人たちと違うのは「相手にとってリスクしかない」と思うところ。メリットを感じるどころか、周りから見たら誤解を生みかねない状況。こんなんで繋がってられるわけない、とずっと思っていた。

 

だけど、仕事を辞めてからも、地球一周から帰ってきたあとも仲良くさせてもらっている。相手がどういう思いでいるのかはなんとなく分かるが、それでもやっぱりご縁があるのはほんとに嬉しい。

 

今後どうなるかまだ危うい部分ではあるが、「これから私が幸せになっていく過程」を見届けてくれていたらな、と願っている。

地球一周の船旅で感じたこと。

去年の年末に出た3ヶ月の船旅。
いろいろありましたが
無事に日本まで帰ってきました。


3ヶ月、とても濃かったです。
たくさんの人に出会って、
たくさんの出来事を通して、
たくさんの景色を見て、
たくさんの“自分”に出会いました。



この3ヶ月で感じたこと。


・「楽しく過ごす」も「つまらなく過ごす」のも自分次第


・“25歳”は何かを始めるには少し遅く感じるけど、諦めるには早すぎる年齢


・「よしだの声」は武器になる。
人前で話して通る声は、誰にでも出来ることじゃなくて、ある意味才能。


・どこにいても“人間関係”で悩む


・どこにいても何かのヲタクになる運命


・「自分を売りこむ」「自分をブランド化させる」ことの大切さと大変さを学ぶ


・「幸せ」とはなにか分からなくなる


・「お金」とどう向き合うのか考え出す



ざっとこんな感じ。


ひとつひとつを深掘りしていくと
膨大な文字数になってしまうので
エピソードなどを交えながら
別記事にまとめていきます。予定。

予定はあくまで未定。

 

 

こんなふうに生活していた結果

ありがたいことに、東京で

お仕事させてもらえるチャンスが

舞い込んできました。

 

受けるかどうかはしばらく悩んで

とりあえず残りのニート生活を

楽しんでいこうと思います。

(もう既に罪悪感しかないけど)

2018ふりかえり~私と上司の1年間~

2018回顧第2弾。

 

これを語らずして2018年終われんよね(?)

 

 

Twitterフォロワーは「あーまたか…」って思うだろうけど、退職時にいた部署の上司(課長)はよしだの2018年を語る上で、必要不可欠な人物、と言っても過言ではないので、公私共々お世話になった(荒らされたともいう)諸々のエピソードをお届けします(誰得)


私がこれまでついてきた上司の中で、いちばん私のことを分かろうとしてくれたし、私もそんな課長と仕事するなかで、仕事にやりがいを感じられるくらいにはメンタル立て直せたし、ほんとにいい関係性を築けたのではないかと自負している(本人にこれ読まれたら怒られそうだけど)


去年の話になるけど、異動してきた初日に休憩室で2人で話した時に「お前これからこの会社でどうなりたい?」って聞かれてなにも答えられなかった私に、「この部署で成長していく」という希望をくれて、文字通りこの部署で出来ることを少しずつ増やしてもらって、そのおかげで、周りの人からも「最近すごい頑張ってるよね」って言ってもらえるようになって、仕事って楽しいんやなって思ってた矢先に辞める辞めない戦争が始まったから、辞めるかどうか最後まで悩んだ。課長からもらった希望を、こんな形で裏切って返したくなかった。


新年会の時に、「俺はお前のことが欲しくてこの部署に呼んだ」って言ってくれたこと(今思えば口説き文句かよって話ですがね)、これまで2人でやってた担当の仕事を1人で任せてもらえることになった時、不安すぎてずっと無理無理って言ってた私を見放すことなく出来るまで見守ってくれてたこと、その他諸々書ききれないくらいお世話になったし、いろんな人から「すごく可愛がられてるよね?」って言ってもらえて、課長からすごく愛されてたのが伝わった。(だから辞めるのを躊躇してしまったんだけどね)



仕事面でもそうだけど、私生活の面でも今年を振り返る上で重要なことがたくさんあった。


お互いに聞きたがり知りたがりだから、(特に恋愛面で)人生相談乗ってもらったり、いらんアドバイス受けたり()ってする時間も楽しかったし、深く知れば知るほど仲良くなっていって、辞める頃にはなんでも話ができる関係にまでなった。課長と仲良くなれたのを糸口に、今まで自分の私生活を会社で晒してこなかった私が会社の人と自分の私生活とかを話したりすることができた。これは人それぞれ考え方があるけど、課長のところに来るまでは「1つ自分の話をすれば、尾ひれはひれついて話が回るから話すのを控える」って考えをひっくり返されたのは自分でも少し驚いてる。(笑)


でも、そうしていくうちに、相手が何考えてるか段々分からなくなって、見たくない部分もたくさん見えてきて、特に辞める3ヶ月前くらいはずっとどう接するのが正解なのか悩んだ。一緒にいて楽だし、気が合うし、いろんな意味で信頼してた一方で、過去の話もたくさん聞かせてもらった分、自分もこの人に深入りしているといつかは傷つくという危機感と、彼にとって私はいったいなんなんだろうか、どこまでの距離感でいるのが正しいのか、という疑問が自分の中で渦を巻きすぎて、どれだけ考えても答えが出なくて、本人のいるいない関わらず泣いたし()、それで怒られたりもした、、、って考えるとなにこいつメンヘラやん(知ってた)


だけど、給料が下がって、私生活がめちゃくちゃ荒れ果てていったことに誰よりも早く気づいた上で何も言わずにいてくれたのも課長だった。ものすごく荒れてた私を見て、(表立っては最後まで言わなかったけど)すごく心配してたんだろな、と今になって思う。
退職前、最後に2人で話をしたときに、「給料が下がったことが原因でお前が荒れてくのを見て、「あの時社長に強く言っとけばよかった」って思ったよ」って言われたときは、なんだかんだいって私のことすごく見ててくれたんやなぁって思ったし、その言葉をきっかけに更生しようと決めた。



いい意味でも悪い意味でも、よしだの人生ひっくり返しにきてるな、と思う。でも、それは「1人の人間」として向き合ってきた結果で、仕事を辞めた今思うのは、どんな形であってもいいから、この人とのご縁は長く続いてほしいと思っている。20代独身女と40代妻子持ち、って世の中からみたらめちゃくちゃリスキーな関係性なのも踏まえた上で、こういうのは相手に望まれない限り成立しないのは重々承知ではあるけど。
それでも、私は「彼から離れた私がどう幸せになっていくのか」というのをみていてほしいと願う。いろんなものに疲れ切って何もなくなった私に、救いの手を差し伸べてくれて、悪いところも含めた「私」という人間を取り戻してくれたのは他でもない課長だから。

 

 

次回はヲタ活編をちょろっと。

2018ふりかえり①~仕事をやめた話~

師走恒例の1年回顧のお時間です。

今年の年末は船の上なので

早めのふりかえり。

 

いつもなら時系列で振り返るけど

今年は出来事別に振り返り

深掘りして語っていくスタイル。

 

まずは仕事を辞めた話から。

 

 

正直に言うと、「今」辞めたことが
正解かどうかはまだ分からない。


「営業で使えないから」って現場に飛ばされてたらい回しにされて、異動になって半年も経ってから「今の仕事と大卒の給料が見合ってないから」って給料下げる会社がまともとは到底思えないし、出るとこ出た結果「同意書作るからサインして安月給で働くか、それが嫌なら辞めてくれ」って条件を出されて何回か課長と社長で3者面談した時の社長の態度とか言動を見てて「もう無理こいつとはやっていけん」って思ったからあの時残る決断をしたところで、どのみちいつかは辞めてたと思う。


だけど、「辞めたい」「上の考えとは合わない」って思うのと同じくらい、「染色の仕事を頑張って上の考えを変えたい」「今の現場で働きたい」って思いが強かった。
染色課に来るまでは、ついた人から嫌われたらそこから追い出されるみたいな感じで異動になってを繰り返してたので、ひとつの仕事と、関わってくれる現場の人とこんなに向き合うことがなくて、いいことも悪いこともたくさん経験した。だからこそ「もっと続けて成長したい」って気持ちも強くなっていて、そのタイミングでこの選択を迫られたので、ほんとにほんとに悩んだ。


それから、微々たるものながらも2年半で培ってきた人間関係が全て崩れる気がして怖かった。(特に染色課にいた頃は)クソ生意気でわがままだったので、もちろん私のことが嫌いな人もたくさんいたし、なんの原因か分からんけど変に当たってくる人とかいたけど、私のことを可愛がってくれる人も少なからずいた。仕事がなくなったら、その人たちとのご縁となくなるんじゃないか、と不安だった。そうじゃない人もいるけど、その不安とは未だに闘い続けてる。


これは来年の目標でもあるんだけど、今の私にできることは、仕事をしていた時より幸せに生きること!もちろん、気持ちの整理がついてないところに色々やっても空回りするから、今すぐあれこれいっぺんにやらずに、マイペースにやろうと思うけど、周りから、特に仕事で出会った人たちから見て「こいつ、前より輝いてるな」って思われる人生を送りたい。

 

 

仕事を辞めたことが

2018のメインイベントだけど

まだまだ振り返りたいことがあるので

次回更新にて。